無理な手術はただ通り過ぎるだけで、外の水準と比べられることもない。
医局の閉鎖性は、診療水準を下げ、その低い水準を固定してしまいます。
同じ顔ぶれで狭い穴蔵に閉じこもっていると、医療の水準を向上させることはできません。
〇二年秋、ある大学の分院でクッシング症候群の女性患者が、臓器を見誤った執刀医によって膵臓の一部を切除され、四週間後に死亡しました。
以前、病院名まで書きましたが、今回、固有名詞を出すのをやめたのは、問題がこの大学だけに限定したものではないからです。
外部の医療事故調査委員会がまとめた報告書の内容は同じ泌尿器科の医師として、衝撃的なものでした。
左副腎と腎臓は同じ膜に包まれたようになっています。
左副腎の手術では、この膜と膵臓の間を大きく剥離します。
その上で、左腎静脈を露出します。
膵臓と左腎静脈は、左副腎の手術で、もっとも事故の原因になりやすいものです。
この位置を確認した上で、副腎に手術操作を加えます。
医局員一同がこの手術のビデオを見ても、誰も膵臓を傷つけたことに気づきませんでした。
全員が気づかなかった。
これは驚くべきことです。
世の中の水準からかけ離れている。
これは他の施設との交流がなさすぎたため、他の施設がどの程度の水準なのかを知らなかったからだと思います。
外部委員会は院内の管理体制を整備することを提案していましたが、私は外部委員会の提案に従っても、この大学の泌尿器科の医療水準を向上させることはできないと思います。
これは、院内だけで解決できません。
世界の水準を知らず、向上のための指標を持たず、自己の水準に満足していたことが、このような結果を招いたのだと思います。
私立医科大学には共通の落とし穴があります。
それは、医師にまともな給与を払わないことです。
若い医師を洗脳して、大学院に進学することを当然だと思い込ませます。
大学病院では、研究はおざなりで、基本的に臨床医として働くことになる。
医師として働いても、ほとんど給与ももらえずに(月に四〜五万円)、逆に授業料を払うのです。
死亡した女性患者を担当していた研修医は、四日間連続で当直していました。
生活のための他院でのアルバイトの一日と、医局の下働きのための三日間です。
私立医科大学には多くの分院を持っているところがある。
経営が成り立つのは、医師に正当な給与を支払わないためです。
大学院を修了しても、医師の給与は同年代のサラリーマンよりかなり低く設定されており、他の病院でアルバイトをして、生活費を稼ぐことが前提になっています。
私立医科大学では、経営している病院群に医師を提供することを、各医局に求める。
各医局にはこれらの病院群を維持する程度の人員しかいません。
このため、外部の水準の高い病院とは交流できません。
逆に、外部の有能な医師は、アルバイトをしないと生活できないような病院に就職するはずもありません。
責任ある医療をしようとすると、アルバイトで病院を頻繁に空けることはできないからです。
かくして、同じメンバーだけと付き合う穴蔵のような閉鎖社会になります。
ときに信じられないような医療がまかり通ることになる。
私立医科大学だけでなく、国立大学にも、世間の評価に安住して、自己の水準を認識できていないところがあります。
麻酔科医の、病院からの集団離職がどうしておきるのかを考えるために、ある麻酔科医に何が最もいやなことなのかと訊いたことがあります。
即座に、下手な手術の麻酔をかけるほどいやなことはないと返ってきました。
ある国立大学病院で、前立腺全摘除術を行うのに八時間かかり、三千ミリリットルも出血するというのです。
いくらなんでも特殊な症例ではないかと訊いたところ、言下に否定されました。
ちなみに私は、手術時間が一時間三十分から二時間三十分、出血量が二百五十から六百ミリリットル(これには尿が百ないし二百ミリリットル含まれます)で、自己血輸血もめったに使用しません。
私が特殊なのではなく、それなりの泌尿器科医なら誰も同様の成績です。
この大学病院では、出血に備えるために静脈に二本、動脈に一本管を入れるとのことでした。
「ライン(管のこと)を三本とったこと(かなり大げさな準備です)で、後でよかったと思っても、やりすぎたと後悔することはなかった」というのです。
私は、この話が本当かどうか確認する方法を持ちません。
しかし、ありうることだとは思います。
本当だとすれば、この施設は前立腺全摘除術を実施することが許されるような水準にはない。
これが許されるようでは、医学界に自浄作用がないと非難されてもしかたがない。
私は、同じ専門家が互いに評価する制度(ピア・レビュー)が必要だと、〇六年十一月の「医療の質・安全学会」で提案しました。
一方で、日本泌尿器科学会は、若い医師に基礎研究のセミナーへの出席を義務付けることまで検討しています。
臨床上、何の意味もないことで会員の義務を増やそうとしている。
それより、専門医教育施設の腎がんの手術と、前立腺がんの手術の成績をレビューするだけで、よほど日本の泌尿器科診療の底上げになります。
各診療科の学会は、大学の教室連合といってよいものなので、このようなことを期待するのは無理かもしれない。
病院団体なら、社会からの逆風をまともに受けており、実行する可能性があります。
各病院長を通じて麻酔記録から情報を収集することができます。
出血量、手術時間の中央値を調べて、統計学的にひどく偏ったところについて、院長宛に通告すればよい。
後は、院長の責任になるし、院長には相応の権限がある。
私は以前より、学会に対するチェック・アンド・バランスの機能を持つ組織が必要だと考えてきましたが、病院団体は十分にその候補になると思います。
「不等なるものは不等に扱わるべし」医療の質の向上は、特定の施設内に限定される問題ではなく、単一の病院で担えるものではありません。
医学の進歩と表裏一体のものであり、社会全体の進歩に各病院も寄与しなければなりません。
全ての医師の中から有能な医師を選別し、次代の指導者として育てるシステムを構築しておく必要があります。
指導者の出身母体を多種類にして、その中に含まれる医師の人数を大きくしておかなければならない。
大学以外でキャリアを積んだ医師も指導者になれるような配慮が必要です。
狭い範囲からしか指導者を選べないとすると、指導者層の質の向上は望めません。
結果として、日本の医療水準を高くできなくなる。
医師の総合的な診療能力を向上させる目的で、〇四年から臨床研修が義務化されました。
大学以外で研修を受ける医師が増えています。
若い医師が大学に魅力を感じていないためです。
しかし一般病院での研修が大学に比べてよいかとなると、現状ではそうともいえないのです。
研修指定病院は、若い研修医を使い捨ての可能な労働者としてしかみておらず、育成すべき対象とは認識していない。
なぜ分かるか。
長期的な育成戦略が用意されていません。
将来、研修医が医療の進歩を担うことをほとんど想定していないということです。
これでは、日本の医療は進歩しません。
研修指定病院は、可能な限り医師の育成を義務と心得るべきです。
心得るだけでなく、それを制度として持たなくてはなりません。
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